船が好きになったのは小学生の時から。小学一年生でクレパスをぎっちり塗りつくして豪華客船の絵を描き、ウシロの黒板に貼り出されたのが、私の船の絵の始まり。父の徳島転勤で単身赴任の父に会いに、備陽商船「山水丸」で四国に行ったのが船旅初体験である。以来商船と軍艦、特に軍艦に詳しくなって小学校では軍艦キチ○○(差別用語で書けない)のアダ名がつく。略して軍キチ。太平洋戦争に敗れて軍艦はもうダメ、海運復興の商船隊に興味をつないで太平洋戦争中の船の残務整理をしているうちに大阪商船の造船技師と親しくなり、これより本格的な船キチになる。
(参考サイト)
コンフォートホテル博多 - じゃらんnet
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コンフォートホテル秋田 - じゃらんnet
http://www.jalan.net/yad378176/
コンフォートホテル新山口 - じゃらんnet
http://www.jalan.net/yad339664/
大阪に住んでいた私は、毎日曜日ごとに天保山桟橋に行って出船入船をスケッチ、当時カメラが欲しかったがとても手に入らないのでやむなくスケッチである。船を見れば船に乗りたい、しかし学生の身ではとても船旅をするお金はない、そこで大阪から神戸までだけ船に乗る。一時間半の船旅はそれなりに刺激的でたのしかった。瀬戸内海航路の客船ほとんどに乗った。復員輸送の任務を解かれて北海道航路に就いた「氷川丸」に乗ったのは、中学三年生。航路こそ大阪−横浜だが船は往年のシアトル航路の大客船だから、広いプロムナードデッキに立って海を見ている時だけは外国航路の気分だった。食糧管理法で食糧持参、四食パンですませ、お客はヤミ屋ばかりでひどい元シアトル航路だが、一万トン客船の旅は大満足だった。